ウノ

どんなに衝撃を受けても、毎日、同じ生活を繰り返していればあたり前になる。新鮮な旅も日常になってくる。

 

陸路の旅のすえにガテマラ共和国にたどり着き、初めて見た浅黒く日焼けした民族衣装のインディヘナ(原住民)のもの珍しさも、一か月もたつといつもの光景になっていた。

 

行きかう通勤姿のガテマラ人たちも、東京で満員電車にゆられて行く人たちも、同じに見えていた。

 

そんな旅なれたころだった。どこかの国の領事館にビザを申請しに行った帰りか、何か簡単な用事をすませたあとだったと思う。

 

ぼくもガテマラ人の一部と化し、中古の薄汚れた循環バスに彼らとともに席に座り、ゆられていた。特に何も考えてはいない。早く宿に帰ってくつろごう程度の思いだった。

 

バスは、首都ガテマラシティのそんなに高くないビルが並ぶ通りを、停留所ごとに止まっては客の乗降をくり返していた。

 

(また今日も昨日と同じなのかな)

 

と、思いながらぼんやりしていたのだろう。次の停留所でひとりの老人が前の出入り口から乗ってきた。

 

つえをついた盲目の物乞いか。目は時々、白目をむく。

 

バスなどの公共機関にはよくこの手の人が乗ってくる。最初は何回か小銭をあげたけど、よっぽど可哀そうでなければあげなくなっていた。心のどこかで、立ち止まらず早く自分の前を通り過ぎてくれ、とも思っていたのだろう。

 

老人は、観光バスのバスガイドのように座っている乗客たちの前に立った。

 

そして彼は、低い声で歌いだした。

 

ウ~ノォーー

 

彼の声にぼくの耳が目覚めた。彼の歌を耳が求めている。今、体の中になにかが熱くこみ上げて、次々にあふれ出てくる、あふれ出てくる。

 

場は完全に老人にもっていかれた。バスは動くステージと化した。

 

こみ上げくる感情のせいで何度も、何度もまばたきせずにいられない。歌の意味は ウノ(ひとつ)ということしか分からなかったけど、彼の生きてきた悲しみや苦しみがじわじわと心にしみ込んでくる。ぼくの心は、それによって清く洗い流された。

 

歌を終えたミュージシャンは、中央を静かに歩きだす。首に袋をぶら下げている。彼のゆっくり歩く歩調に合わせて両脇から次々に手が伸びていった。ぼくも小銭を申し訳ない思いで捧げた。

 

バスが次の停留所で止まると、老人は後部席の客に手をとられ降りていった。

 

 

いつしか帰国の途に就き、日本の「座頭市」の再放送を見た瞬間、自然にのめり込んだ。