新たなる旅立ちへ
パソコン作業に疲れ、心が疲労する。一段落したと思っていたら、また、次の壁が現れる。はっきり言って分からないことだらけだ。もう、こんなにもパソコンとにらっめこするのは、やめにしてしまおうという気持ちが何回わき起こったか!
2、3か月前に妻がスマートフォンを持った。我が家でただひとり。電話帳を携帯電話から移行できない、アカウントの設定が複雑と悪戦苦闘。ストレスもたまってくる。
インターネット端末に触る機会が多くなってから、どうも家庭内がぎくしゃくしてきた。ちょっした些細なことでイライラし、やがては態度や口に出る。
コンピューターは、確かに我々の生活を豊かにしてくれた。でも、でも・・・である。
このコンピューターに費やされる時間がなにかを犠牲にしてないだろうか?人々の人間としてのふれあいの場を奪い、お互いの笑顔を減らしていないだろうか?疑問だ。
人間味のない無機質なものを相手にしていると、無性に自然に触れたくなった。
もうすぐ梅雨となる。母の畑の青梅は、今年は不作だったけど、もう、いい時期だ。渡良瀬遊水地にある桑の実を採りに行こう!
車で一時間、妻といっしょに向かった。渡良瀬川の橋を渡ると群馬の赤城山群が見える。渡良瀬遊水地の周りの湿原地帯の上を何羽かのトンビが円を描いていた。
雨が少なく、陽射しが強かったので、今年は実りはどうだろうか?
車幅を制限する鉄のポールを通過し、いつものように谷中村跡地の桑の木々を目指す。道沿いには、それほど車に踏みつぶされた桑の実はなかった。
谷中村跡地入り口の曲がり角に、軽自動車で乗付けている、先客の年配夫婦がいた。
「今年は、どうですか?まだ、採るのは早いですか?」
「もういいみたいよ。でも、道路沿いは枝がはらわれてしまったし、ここは採りつくされてしまったわ」
と、奥さんは教えてくれた。そして、年配夫婦はさらに奥へ向かって車を出した。
(もう、おこぼれにはあずかれないかな?)
実の数が少ない木に登って木をゆらしてみる。そのすぐ下で傘を逆さに広げた妻が収穫する。実は小さく、雨の少ないせいかみずみずしくない。今年は、不作かな。
小さくて、表面が乾燥気味の桑の実をビニール袋に詰める。これで納得するか。すぐ近くに建てられた展望台の無料の大型双眼鏡で鳥でも見てから帰るかな。あしが生い茂り、一面に広がる湿原地帯に野鳥を探した。
「あそこの用水路沿いの桑の木は、どう?」
と、妻が言った。
ダメもとで行ってみよう。それで、いい桑の実が採れなけば帰るのにちょうどよい時間となる。
用水路沿いに、さほど大きくない桑の木が点在している。
これは、大きくていい実だ。日陰のせいか、水分もよくふくんでいる。さっき採ったものより甘い。あっさりしてるけど、自然の野生の味がする。目の高さに実っているので、面白いように採れる。手でもぎながら収穫し、ときどき味わう、楽しいひと時となった。
帰り道、来た道を逆になぞるように車を走らせる。運転しながら考えた。もうすぐ次の旅も近い。一人で漂っていた頃のようなバックパッカーの旅が、再び始まる。
家族を持ってからは、事前に宿や交通機関の予約をしてから出発する旅行だった。快適な宿やレストランを求めて旅するうちに、一人旅とは違う志向になっていた。
お金の許すかぎり、より高級な5星ホテル、きれいなテーブルクロスをひいたレストランに足を運んでみた。そのうちに、バックパッカーで旅をしていた当時とは、どこか違う自分になっていた。
最低の安宿や地元の食堂で食べていたあの頃とは、違っていた。
高級ホテルだけでは、フロントの接待しか出会いはない。タクシー移動では、バスに乗車している人々の生活は感じられない。
時には、高級レストランのフルコース料理も豪華に装飾されたホテルの部屋もいい。でも、お金ですぐになんでもできる旅は、苦労もなく、感動もなくなっていく。
もう、いい頃だ。
そろそろ呼ばれる頃合いだ。何かに引き寄せられるように、ぼくは呼ばれて行く。そう、今度は家族を引き連れて。