謎の中国人

今、列車の中にいる。北京を出発した火車(中国語で汽車のこと)は、途中、主な駅に停車するだけで、4日間も走り続ける。

 

切符は、北京駅で知り合った北京外語大学の学生に買ってもらった。彼は、日本語を専攻していて、日常会話は問題なく話す。学生寮に安く泊まれると聞いてついて行ったが、学生でなければだめだった。その後も彼は安い宿をいっしょに探してくれた。

 

中国で、英語が通じる場所は限られている。ホテル、旅行案内所など外国人が来るところ限定だ。だから日本語を話す彼は、とてもありがたく、何より久々に日本語で自由に話せてうれしい。

 

北京の食べものと言えば、単純に北京ダックが思い浮かぶ。宿を見つけてくれたお礼をかねて、東京の銀座のような繁華街の高級レストランで食事をおごった。まだ、当時は紺色の人民服を着ている人をよく見かけた。外国の資本も、そんなに入り込んでいなくて、街並みはどこかさびれてさえいた感じをうけた。

 

 

中国

 

肝心な北京ダックの味はと言えば、正直、こんなものなのか、と思った。大きな皿にダック(鴨)の茶色く焼かれ切り取られた皮が乗っけて出された。これを餃子のような皮に刻みネギとたれを巻いて食べる。

 

「次は、どこに行くのか?」

 

「西安」

 

「じゃあ、火車の切符を代わりに買ってあげるよ」

 

中国語のできないぼくに切符を買ってくれた。

 

そして、翌日、彼に買ってもらった2等寝台の切符を持って西を目指した。また会話のない(できない)旅が始まった。

 

硬臥(二等寝台)の旅は快適だ!なんてったって、かいこ棚のように3段ベットなので、夜は横になって眠れるから。今までは、硬座(二等座席)で移動し、お世辞にもやわらいと言えない座席に座りっぱなしだった。その席だって、すきをみせてトイレ行こうものなら、取られかねないのだ。火車は、常に人民であふれいた。

 

車窓から景色を楽しむ余裕さえあった。

 

少し気だるい午後、どこまでも続く砂漠、雄大なシルクロードの世界に酔いしれた。時おり風が吹くと、砂粒のまだら模様に描かれた空間が現れる。

 

しかし、いつしかぼくの関心は向かいあって座る目の前の中国人に変わっていた。人民服を着込んでいるが、なにか違う。この違和感は、なんなのか?

 

顔つきが中国人っぽくない。男性、歳は60代くらいだろうか?お互いに目が合っても、そらした。にらみ合いではないけど、もやもやしたものを消化できないまま、火車が定期的に刻むレール音だけが流れた。

 

我慢できなくて、口を開いたのは向こうだった。

 

「日本の方ですか?」

 

そう、目の前の相方は日本人だった。ここからは、日本語の会話だ。

 

「中国では、外国人は中国人民の2倍の乗車料金を払わなければなりません。だから、私は人民服を着て口のきけない振りをしながら旅をしているのです」

 

と、タネ証しをされた。

 

「この前なんか、寝台で寝てるとき車掌におこされて、ついうっかり寝ぼけていて(お前、誰って!)日本語でしゃべっちゃいましたよ」

 

と、笑いながら話をされた。そして、中国で体験した旅物語をしあった。

 

西安に到着するいくつか手前の駅で年配の男性は下車し、また、中国人に戻っていった。