石垣の風雲児

石垣島を案内してくれたのは、友人Hだ。彼とは高校時代からの付き合いがある。この島に住みだしてから、どのくらいの月日が経ったのだろう。彼をたよりに多くの知り合いがやって来た。友人Hはもはや石垣島のガイドのようだった。

 

いつものように石垣空港に着くと笑顔で出迎えてくれる。愛車のくたびれた軽ワンボックスに乗り、地元の食堂やら観光名所へ向かう。こっちとしては、とても有難いし、友人Hはむしろ案内役を楽しんでいるようだった。しょうに合っているのだろう。

 

高校時代は空手部に属していたH。だが試合には出てこない。いつも詰襟の学生服姿で、内ポケットに黒い手帳を忍ばせいる。誰も頼んでいないのに空手部の活動を日々管理していた。だからみんなに空手部のマネージャーと呼ばれていた。

 

普段、友人Hは島で何をしているのか?

 

実は、まじめに働いている。石垣港に出入りする運搬船の揚げ降ろしされた荷物をホークリフトを操作して倉庫に収めていた。島内の荷物の配達も大型トラックに乗ってやっていた。

 

そんな友人Hとは、以前、埼玉の同じ市内に住んでいた。母とも顔なじみだ。ぼくが母を連れてきた理由も、もちろんHは知っている。

 

初めて食べた海ぶどう、マグロの美味い店、絶品な八重山そば、川平湾の名勝など島内をくまなく巡ってくれた。ありがとう。

 

市内の鍾乳洞にも足を運ぶ。友人Hは遠慮して、洞内にはついてこなかった。中は薄暗く、足場は水で滑りやすい。水たまりを歩かせまいと、母をおんぶした。そんな記憶はいくつもない。歳をとった母を背負ったのは初めてかもしれなかった。

 

車を停めて降りる。名も知らない、海を背にした小高い丘。陽はまだやわらかい。八重山諸島に吹くそよ風は、旅の途中に立ち寄ったぼくたちを優しく包んでくれた。

 

花